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ブランド志向への大いなる誤解

海外ブランドの好調が雑誌や新聞で取り上げられるたびに、決まって「日本人のブランド志向」をめぐって活発な意見が交わされる。欧米崇拝が抜けない、横並び志向が強い、マスJミに踊らされやすい、自分なりの価値観がない、一点豪華主義、住空間にかける代わりに身の回りの贅沢品で充実感を得ているといったもので、圧倒的に否定的な意見が多い。ヨーロッパの例を引いて、ブランド好き日本人を断罪する意見もあり、こちらもなかなか優勢だ。ブランドを持つにふさわしいステイタスやライフスタイルの持ち主でなければブランドを持つのは恥ずかしいIという意見である。代表的な例としては、以下のようなものがあげられよう。欧米のブランド品というのは、高価だけれども長持ちがするということを特徴にしていて、そのかおり、ブランド品を毎年買うとか、あるいはシーズンごとに買うとかということはなくて、お金のある人たちでも、ブランド品は、二年にいっぺんとか、三年にいっぺん買うというものなのだ。(yIクス寿子草思社『自信のない女がプランド物を持ち歩く』二〇〇二年)マークス寿子は、欧米ではみなブランド品をたまにしか買わない、ブランド品を頻繁に買う日本の女はおかしいと指摘する。イギリスのマークス男爵と結婚し、離婚したあともずっと「元男爵夫人」の肩書きで生きるマークス寿子も相当のブランド志向ではないかと思うが、ブランド好きの日本女性に向けられる意見とはおおよそこんな内容だ。突きつめれば、ブランドにふさわしいバックグラウンドもないくせに日本の女性、とりわけ若い女性がブランド品に狂うとはけしからん、という主張である。しかし、こうした意見には「階級社会」「階級差」に対する視点がない。マークス寿子のいう「欧米でブランドを買う人たち」とは、結局のところ、上流階級の人間だ。ヨーロッパは厳然たる階級社会であり、ブランドと階級がセットになっている。ヴィトンもエルメスも、向こうでは上流階級御用達のブランドであり、下のクラスにとっては、はながら遠い存在なのだ。たとえブランド品を買う余裕があったとしても、「ブランド品は上流階級限定のもの」と考えているし、もし仮に持ったとすれば、同じクラスからも、上のクラスからも冷ややかな目を向けられる。比会的なプレッシャーを否応なく受ける。ヨーロッパのエルメスの顧客は、まず鞍や鐙などの馬具からオーダーするといわれているが、それは別荘を持ち、馬を所有し、ヨットを持つ上流階級に属しているからこそ可能な話だ。アメリカはアメリカで、所得による社会的な階層が確立している。低所得者がブランド品に手を出すことはまずない。ヨーロッパやアメリカと比較して、日本人のブランド志向をたたくのは大いなる勘違いなのだ。